60代のトランスジェンダー

60歳を過ぎてからジェンダークリニックの門を叩いたMtFのお話

小牧市教育委員会が行ったLGBTに関するアンケート

広報こまき2月15日号に「かすたねっと52号」という冊子が入っていました。

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この冊子の記事によると、「小牧市教育委員会まなび創造館」というところが、6月24日(たぶん2018年のこと)に「彼らが本気で編むときは、」というLGBTがテーマの映画鑑賞会をしたそうです。

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 私は知らなかったのでその鑑賞会には行っていないのですが、その時に行われたアンケートの結果が載っていました。 

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 アンケートの設問は3つとなっています。

  • あなたはLGBTという言葉を聞いたことがありますか
  • あなたはLGBTの意味を知っていますか
  • 実際にLGBTだとカミングアウト(打ち明けられたこと)がありますか

この設問を見て思うことは、これらの設問は、アンケートの回答者が全員LGBTの当事者でないことが前提になっていないだろうか、という事。

回答者数271人となっています。

電通ダイバーシティ・ラボの調査によれば、2005年の調査では7.6%、2018年の調査では8.9%がLGBT層に該当するという結果が出ています。
少なく見積もって7%がLGBTの当事者だと推定すると、名画鑑賞会への参加を「LGBTの当事者でない人」という条件で募集されたのでなければ、アンケートに回答された271人のうち、少なくとも18人はLGBTの当事者だったはずです。

しかし、このアンケートはLGBT当事者に向けたものではないことは明らかです。

LGBTをテーマにした映画会や、LGBTの研修会、講演など、いろいろなところでこういう場面に遭遇します。
「そこに集まった人の中にはLGBT当事者はいない」という暗黙の了解みたいなものがあり、LGBT当事者は「フツウには存在しない、特別な生き物」みたいに扱われます。
だから、学校の理科の授業で「動物の生態を学ぶ」みたいな感じで、「LGBTについて学ぶ」とか「LGBTについて理解を深める」みたいなテーマになりがちです。
そういう場に私が参加すると、その集まりの中から私ひとりだけが排除されたような感覚になります。なぜなら、意図的でないにしろ、「LGBT当事者でない人」を対象とした講演会や映画会になっているからです。

いろいろなLGBTに関するイベントを企画する時、まず、参加者の中には当事者が必ずいるという前提から始めて企画を立てるということはできないものでしょうか?

あなたの隣に座っている人は当事者かもしれない、という考えが自然に頭に浮かぶようにならなければ、私たちの生きづらさは変わらないような、そんな気がします。