60代のトランスジェンダー

60歳を過ぎてからジェンダークリニックの門を叩いたMtFのお話

「『LGBT』支援の度が過ぎる」という杉田水脈議員の考え方は保守だからか?

新潮社の雑誌「新潮45」2018年8月号の「日本を不幸にする『朝日新聞』」という特集の中で、杉田水脈衆議院議員自民党)が「『LGBT』支援の度が過ぎる」というタイトルで書いた記事が物議をかもしていると話題になっています。

一番取り上げられているのは、

 LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。

 の部分です。

こんな主張は何をか言わんやで、議論にも値しないものですが、彼女はこうも言っています。

リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです。
たとえLGBTの人たちが「生きづらさ」を抱えていたとしても、そこに社会制度の不備などの要因は関係なく、自分自身や周囲の人間のせいである。

 私はこれと同じような主張を以前ぶつけられたことがあります。

それはこのブログの2018年1月4日の「健康診断当日(その2)」の記事で書いています。

SNS上で反安倍政権の急先鋒である田中み〇りさんの、問題のFacebookでの発言部分を再掲すると、

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この中で彼女は「それ、こっち側の都合ですよ」「こっちで解決するしかないと思います」と言っています。

杉田水脈議員の「そこに社会制度の不備などの要因は関係なく、自分自身や周囲の人間のせいである。」とまったく同じ主張と言っていいと思います。

すなわち、この「LGBTが生きづらいのは社会制度の問題ではなく、自分たちのせいである」という主張は何も杉田水脈議員のような保守の、誤解を恐れずに敢えて言えば右翼の人たち特有のものではなく、リベラル、敢えて言えば左の人たちでも同じ考えを持っている人たちがいるということなのです。

しかも、そういう左の人たちは、たとえ杉田水脈議員と同じような考えを持っていたとしても、「自分はLGBTに理解がある」という顔をするのでやっかいです。

そういう人たちはLGBTに対して通り一遍の知識はあっても、LGBT当事者が開く集会やイベントに参加しない、たまに参加する人がいても自分の社会的な持論をLGBTに当てはめて現実とは乖離した主張を述べるだけで帰る、当事者と腹を割って話をしない、など、LGBTを本当に理解しようとはしていないと思える人が多いような気がします。

杉田水脈議員のようにLGBTに対する態度が一貫しているならまだしも、杉田水脈議員の発言を非難しながらLGBT当事者を傷つけるような人は勘弁してほしいです。

さきほどの田中み〇りさんもFacebook上で杉田水脈議員を「人でなし」とこき下ろしています。

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