60代のトランスジェンダー

60歳を過ぎてからジェンダークリニックの門を叩いたMtFのお話

健康診断当日(その2)

健康診断でのことをFacebookに投稿してみました。

いろんなコメントをもらいました。

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この中で「名前も変えちゃうか。『小嶋小百合』に。」と言っている人、田中み〇りさんと言って、私の友人だった人です。

するどい安倍政権批判を連発していて、twitterでは6000人以上もフォロワーがいるというすごい人なんですが、その人が「本名を呼ばれるのがいやなら名前を変えちゃえ」と言うのです。

「沖縄で基地に反対している人に『そんなに基地がいやなら引っ越せ』と言っているのと同じだと思いますよ」と返したら、わけの分からない反論をしてくるんですね。

その後、いろいろやり取りがあったのですが、結局彼女の言いたいことは「女性として生きることを自分で選んだんだから、いろいろと生きづらいことがあるのは分かっていたはず。制度の問題ではなく、自分の責任でしょ?」ということ。いわゆる自己責任っていうことのようです。

彼女は今の政権を批判する立場なので当然のごとく社会的弱者を保護しない新自由主義も批判していて、片親家庭など、いろいろな事情で経済的貧困に陥った人たちに対してネット上で「自己責任だ」と罵倒する世相に非常に憤りを感じている人です。

そんな彼女が、LGBTのことになると、「いろいろ困ることがあっても自己責任だ」と言う。おかしくないですか?

そこを指摘すると、「やむなく貧困に陥った人とは同列に語れない」「経済的な問題に関する『自己責任論』と一緒に語るべきことではない」とおっしゃる。

う~ん、貧困の問題は社会の責任で自分の責任ではない、LGBTは自分の責任だということでしょうか?

入った会社が自分に合わなくて悩んでいる子供に「自分で選んだ会社だから自分の責任でしょ?」と言っている親みたいですね。職業を選ぶことができるように、性自認も選ぶことができると思っているのでしょうか?

それとも、生きづらいのがイヤなら一生隠して生きていきなさい、ということなのでしょうか? 世の中にはいろいろな差別で苦しんでいる人がたくさんいますが、そういう人たちは悲しいかな、自分の素性をひたすら隠して生きています。それと同じようにしなさいという事でしょうか?

LGBTと言われる人は自分で選んでそのように生まれたわけではありません。異性を愛する人は自分の意志でそうしたわけではなく自然に異性を好きになるのと同じように、同性を愛する人は異性を好きになるか同性を好きになるかの二者択一をしたわけではなく自然に同性を好きになるのです。そこに自己責任はありません。同じように、女性の心を持って生まれた男性も、男性の心を持って生まれた女性も、自分でそうなることを選んで生まれてきたわけではなく、生まれながらにそうだったわけで、そこに自己責任なんてありません。

私のような人間を友人に持ちながら、彼女は性的マイノリティの生きづらさをまったく理解していない。自分で選択したのだから自分の責任だと思っています。そのことがものすごくショックでした。

そういえば、彼女はLGBT関係のイベントに参加したことがありません、LGBT関連の講演を一度も聞いたことがありません。だから性的マイノリティの当事者がどのように生きづらさを感じているか、なぜ性的マイノリティの自殺企図率が一般の6倍もあるのかというような事を何も知らないのです。だからすべて自分の想像で議論しているのです。

それは彼女がFacebookのコメントの中で「わたし、またあれから考えた。」と言っていることから分かる通り、自分の想像で議論を組み立てているのです。肝要なのは頭で考えて結論を出すのではなく、事実を知ることなのです。

社会問題に人の何倍も関心のある田中み〇りさんでさえ、こんな認識なので、一般のあまり社会問題にも関心のない人たちは推して知るべしなのでしょうか?

LGBTが住みやすい社会にするためには、制度を変えたり、トイレなどの設備を変えたりする事も大事ですけど、まずはLGBTのこと、性的マイノリティの実際をとにかく正しく知ってもらうこと、それが何よりも重要で急務だという事を痛感したしだいでした。